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NOEのあゆみ

HISTORY

NOEのあゆみ

1960(昭和35)年の創業以来、半世紀にわたり旅行業界の荒波を越えてきたエヌオーイー(NOE)。その歩みは、日本の海外渡航の自由化、高度経済成長、そしてIT化といった時代の変化とともにありました。「観光産業こそ平和産業である」という創業者の信念から始まり、業務渡航(BTM)の確立、独自のシステム開発、そして戦略的なM&Aによる事業拡大へ。50年の歴史の中で培われた、NOEの挑戦と進化の軌跡を振り返ります 。

創業期

  • 創業前史(創業者・和田太計司の歩み)

    1928(昭和3)年、丸善石油(現・コスモ石油)の“中興の祖”和田完二の長男として生まれた和田太計司は、慶応大学在学中に「観光事業研究会」を創設するほど、早くから観光業の可能性に着目していました。戦後の荒廃した日本において、「観光こそが平和産業であり、外貨獲得の切り札になる」という信念は揺るぎないものでした。大学卒業後、丸善石油ニューヨーク支店長としてエリートコースを歩みながらも、その情熱は消えませんでした。事前の調査で「石油業に比べて投資効率が悪い」という結果が出ても、父・完二の激怒と勘当という猛反対にあっても、彼の決意は変わりませんでした。「日本の将来のために」という高い志を胸に、安定した地位を捨て、31歳で独立といういばらの道を選んだのです。

    創業前史(創業者・和田太計司の歩み)
  • ニュー・オリエント・エキスプレスの誕生

    1960(昭和35)年2月25日、NOEは産声を上げました。社名の「オリエント」には、日本単独ではなく「アジア全域に欧米の観光客を誘致したい」という創業者の壮大なビジョンが込められています。当初は人材確保に苦労しましたが、「一企業の損得よりも日本の観光立国が必要だ」と説く和田の人柄に惹かれ、大手他社から経験者が続々と集まりました。翌1961年12月には、当時丸の内で最も格式高い東京商工会議所ビル1階へ本社を移転。剣持勇氏がデザインを手がけたオフィスは、旅行会社とは思えない豪華なショールームを備え、その斬新さは新聞各紙で取り上げられるなど、センセーショナルな船出となりました。

    ニュー・オリエント・エキスプレスの誕生

初期の業務内容

創業当初は設立趣旨に基づき、米国企業の招待旅行受け入れなどインバウンド業務に注力していました。一方で、戦後長らく制限されていた日本人の海外渡航は、1950年にGHQから外務省へ許可権限が移管され、業務目的に限り可能となっていました。しかし、当時は「渡航審議会」の許可がなければ旅券も外貨も取得できない時代。膨大な申請書類の作成こそが旅行会社の主たる業務であり、社員は顧客のために徹夜で書類を作り上げることも珍しくありませんでした。この時期に培われた実務能力と献身的な姿勢が、後の信頼へと繋がっていきます。 1964年の海外旅行自由化以降は、本格的にアウトバウンドへ展開。1966年の「7万円香港旅行」による価格破壊や、翌1967年の「南極探検ツアー」の実現など、他社にない画期的な企画を次々と打ち出し、ユニークな旅行会社としての地位を確立しました。

初期の業務内容

50年の軌跡

  1. 会社組織としての成熟

    会社組織としての成熟

    創業者の情熱で幕を開けたNOEは、1970年代後半以降、大平武正をはじめとする歴代社長の経営手腕により組織としての成熟期を迎えます。オイルショック後の不安定な経済情勢を鑑み、景気変動の影響を受けやすいレジャー部門から、収益基盤の安定した業務渡航(BTM)へ軸足を移す英断を下しました。財務面では三和銀行の支援を得て1982(昭和57)年に累積損失を一掃し、健全な体質を確立。社内では「Do the Best」を合言葉に、単なる業務遂行(Good)を超えた「ベストな仕事」を追求する風土が醸成されました。1985年の25周年には売上目標100億円を掲げる3カ年計画を策定し、バブル崩壊後の厳しい時代も、早期のコスト削減や不採算部門の整理といった「選択と集中」によって乗り越え、強固な経営基盤を築き上げました。

  2. 企業イメージの確立

    企業イメージの確立

    企業の発展においてイメージ戦略は不可欠です。NOEは1981(昭和56)年、社員の行動指針として頭文字を取った3つのモットーを制定しました。「NEEDS(常にお客様の要望に配慮する)」、「ORGANIZATION(お客様を含めた組織の一員であることを自覚する)」、そして「EXPANSION(お客様の発展があってこそ自社の発展がある)」です。 創立25周年にはCIを導入し、空(N)・大地(緑の円)・海(E)を組み合わせたシンボルマークを決定。さらに21世紀に入ると、マスターブランドを「NOE」と定め、地球を表す円を「高品質・顧客満足・創造性」という3つの輪が巡るシンボルを制定し、その軌道で「行動力」を表現するなど、時代に合わせてブランドイメージを進化させてきました。

  3. 業績の中心的柱となった業務渡航

    業績の中心的柱となった業務渡航

    NOEの屋台骨を支える業務渡航(BTM)部門は、広告宣伝による集客ではなく、実務を通じて顧客からの「信頼」を獲得することに全力を注ぎ、事業の柱へと成長させました 。急な日程変更やトラブルへの迅速な対応、複雑化する航空運賃への専門知識といった「人的サービス」の質を磨くことで信頼を勝ち取ってきたのです 。その実力は、絶対に失敗が許されない官公庁の閣僚外交やODA関連業務において遺憾なく発揮されています 。また、放送業界のオリンピック中継や特番取材における膨大な機材輸送、交響楽団の楽器輸送など、高度なノウハウを要する分野でも独自の地位を確立しました 。近年では中国への生産拠点シフトに伴い、現地航空便の手配や専用ラウンジの提供など、企業のグローバル展開をきめ細かくサポートし、NOEの業績を牽引し続けています 。

  4. 多様化するニーズに対応したレジャー・トラベル

    多様化するニーズに対応した
    レジャー・トラベル

    1970年代の海外旅行大衆化の波に乗り、NOEは自社ブランド「スカイツアー」を立ち上げました。当初は欧米ツアーが主流の市場でしたが、バブル期に大阪支店が独自に開発したアジア特化型の商品が、安・近・短のニーズを捉えて大ヒット。「アジアはスカイツアー」のキャッチフレーズのもと、全社的な主力事業へと成長しました。市場環境が厳しさを増した90年代以降も、熟年層向け「漫遊の旅」の継承や、新聞広告販売に強みを持つ新日本トラベルとの統合により、直販部門のラインナップを拡充。2008年には「イスラエルを知る旅」がツアーオブザイヤー審査員特別賞を受賞するなど、他社とは一線を画したユニークな商品開発を継続し、JATA世界旅行博への出展などを通じてブランド力の強化と新たなファン層の開拓に努めています。

  5. システム開発史

    システム開発史

    業界に先駆けてICT化を推進してきたNOEは、1971年の会計機導入からその歴史をスタートさせました。Windows95の登場と共に一人一台のPC環境を整備し、Lotus Notesを活用した営業支援システム(SFA)や旅程管理システムを自社開発するなど、業務効率化を徹底。2000年問題(Y2K)を機に導入した基幹システム「旅助」を経て、2002年には危機管理や経費管理機能を備えたBTMシステム「C-five」を稼働させ、大手他社のシステム化攻勢に対抗しました。さらに2008年には、各グループ会社の統合や業務一元化を目指し、仕入れから精算までを網羅した新基幹システム「TRAVO(トラボ)」を完成。その高い完成度から子会社「トラベル・エボリューション」を設立して同システムの外部販売にも乗り出し、システム事業という新たな収益源を創出しています。

  6. テキストが入ります。テキストが入ります。

    新社名「NOE」と次の半世紀へ

    2004(平成16)年5月、社名を「株式会社エヌオーイー(NOE)」に変更しました。これに伴い、ロゴマークも刷新。未来への発展性を表すブルーを基調に、大空へ向かって躍進・チャレンジする精神をラインと矢印で象徴した現在のデザインとなりました。 そして2010(平成22)年、創立50周年という大きな節目を迎えます。5大陸を表す5色の輪に「半世紀のありがとう」を添えた記念ロゴを作成し、長年の感謝を表明しました。現在はプロパー出身の林田建夫が社長のバトンを受け継ぎ、創業以来の「観光は平和産業である」という理念と、NOEのDNAである「誠実さ」を胸に、次の50年に向けた新しい時代を切り拓こうとしています。

新しい仲間

  • ジェット・エァ・サービス株式会社

    ジェット・エァ・サービス株式会社

    2003(平成15)年、NOEはジェット・エア・サービスとの統合を果たしました。これはメインバンクの合併(UFJ銀行誕生)を契機としたものでしたが、放送業界に強いNOEと、CM制作・広告業界に強いジェット・エア・サービスは顧客層の重複がなく、理想的な相互補完関係にありました。NOEにとって初の本格的なM&Aであり、後の戦略のモデルケースとなる重要な案件でした。統合にあたっては、急激な変化による混乱を避けるため「ソフト・ランディング」方式を採用。メール文化のNOEと対話文化のジェット・エアという社風の違いやシステムへの戸惑いはありましたが、上司によるメンタルケアや待遇維持の確約により融和を促進しました。結果として主要社員の離脱を防ぎ、両社の強みを活かした相乗効果を生み出すことに成功しています。

  • 新日本トラベル株式会社

    新日本トラベル株式会社

    2005(平成17)年には、新聞の全面広告を活用した直販モデルで一時代を築いた新日本トラベル(SNT)と統合しました。1969年に大阪で創業したSNTは、自社ブランド「バカンスツアー」を展開し、当時空席が目立っていた大阪発の欧米路線を安価に仕入れる独自ルートを開拓。大手より10万円も安い価格で高品質なツアーを提供し、最盛期には年商300億円を超える急成長を遂げました。しかし、9.11テロやSARSによる市場低迷、カリスマ創業者の急逝により経営が悪化。業務渡航とホールセールに続く「第3の柱」を求めていたNOEとの統合に至りました。SNTが培った圧倒的な直販ノウハウと添乗員付きツアーの企画力は、NOEのレジャー部門に新たな活力を注入し、現在の個人旅行事業の基盤となっています。

パンフレット・しおりで見る50年

  • 1960

    1960

    1960

  • 1970

    1970

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  • 1980

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  • 1990

    1990

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  • 2000

    2000

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  • 2010

    2010

    2010

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